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日本海中部地震から26日で40年を迎えた。津波で児童13人が犠牲となった秋田県男鹿市の海岸では、遺族が鎮魂の祈りを捧げた。

 竹島知郁アナウンサー:
「穏やかな波となっている男鹿市の加茂青砂です。40年前の午前11時59分、日本海中部地震が発生し、この海から来た津波に児童13人がのみ込まれました。あれから40年、ことしも追悼の式典が行われます」

 1983年5月26日午前11時59分。秋田県沖を震源とする大地震が発生し、地震の規模を示すマグニチュードは7.7。秋田市で震度5の強い揺れを観測したほか、津波も押し寄せた。県内では83人が命を落とし、津波による死者は79人に上った。

 男鹿市戸賀の加茂青砂海岸では、遠足に来ていた北秋田市の合川南小学校の児童13人が津波に巻き込まれ、犠牲となった。

 慰霊碑の前では、40年の節目に遺族や地元の関係者が鎮魂の祈りを捧げた。

 海岸では遺族が弁当を広げ、子どもたちに呼びかける。

 「たまごサンドが好きだったので、『持っていきたい』と言って遠足に来たが、食べないで亡くなったので、毎年作って持ってきています」と話すのは福岡史恵さん。津波で当時9歳だった長女の有希子さんを亡くした。毎年あの日と同じ中身の弁当を作り続けている。

 亡くなった有希子さんの母・福岡史恵さん:
「年数は関係なく、私としては毎日供養しているので、あまり年数は気にかけたことはなかったが、きょう和尚さまが話をしてくださって、自分も高齢になったので『間違いなく40年はたっているんだな』と感じた」

 遺族それぞれが思いをはせる。

 亡くなった土濃塚信子さんの父・謙市さん:
「あっという間だった…40年。それだけです」

 亡くなった福田綾子さんの母・恵美子さん:
「気持ちの優しい良い子でした。親ばかですみません」

 亡くなった三浦卓也さんの兄・浩幸さん:
「一緒にお酒飲みたかったですね」

 40年が経過した今も、悲しみが癒えることはない。

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