スチュアート・オグレディ

スチュアート・オグレディ

スチュアート・オグレディ, by Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki?curid=1211232 / CC BY SA 3.0

#オーストラリアの男子自転車選手
#オリンピック自転車競技オーストラリア代表選手
#オーストラリアのオリンピック金メダリスト
#オーストラリアのオリンピック銀メダリスト
#オーストラリアのオリンピック銅メダリスト
#オリンピック自転車競技の金メダリスト
#世界選手権自転車競技大会トラックレース優勝者
#オーストラリアのコモンウェルスゲームズ金メダリスト
#アデレード出身の人物
#1973年生
スチュアート・オグレディ(Stuart O’Grady, 1973年8月6日- )は、オーストラリア・アデレード出身の元自転車競技選手。
2013年末で引退した。
トラックレースではアテネオリンピック金メダリスト、ロードレースではスプリンタータイプの選手としてツール・ド・フランスの序盤ステージにおいてしばしばマイヨ・ジョーヌを獲得したり、また2007年のパリ〜ルーベも制するなどの実績を持つ、オーストラリアを代表する自転車競技選手である。
また、オーストラリア勲章(OAM)も受章している。
オグレディの自転車選手としてのキャリアはトラックレースから始まった。
1992年バルセロナオリンピックでは、4000m団体追い抜きのメンバーとして銀メダルに貢献。
1996年アトランタオリンピックでは、4000m団体追い抜き、ポイントレースで銅メダルを獲得。
アトランタオリンピックの1年前となる1995年にガンと契約を結んでプロ選手となり、その後はロードレースにおける活躍ぶりが目覚しくなった。
1998年のツールでは第4 – 6ステージまで総合首位に立った。
また2001年のツールでも、第4 – 6、第8 – 9ステージでマイヨ・ジョーヌを身にまとった。
この他ツールのポイント賞争いにおいても常に上位に食い込む活躍を見せる。
しかしエリック・ツァベルの壁が厚かったこともあり(ツァベルは1996 – 2001年まで6年連続ポイント賞受賞)、ポイント賞獲得には至っていない。
とりわけ惜しかったのは2001年のツールで、最終ステージにおいてマイヨ・ベールを身にまとってレースに挑んだが、最後にツァベルに逆転されてしまった。
一方、2008年のシーズンよりUCIプロツアーの対象レースに組み入れられることになったツアー・ダウンアンダーの初代総合優勝者(1999年)であり、2001年にも同レースを優勝している。
2004年にコフィディスに移籍。
2005年 2006年、ビャルヌ・リース監督に懇願し、チームCSCへの移籍を果たす。
2007年 2009年 2011年、チーム・レオパード・トレックに移籍。
2012年、母国の新チームグリーンエッジに移籍。
オグレディの家系は自転車一家であり、叔父は1964年東京オリンピックに出場した経験を持つ。
また父も南オーストラリア州の選手権大会を制するなどの実績を挙げている。
そしてオグレディは母国オーストラリアにおいて、ジュニアの自転車チームのスポンサーとなり、チームの財政的支援を行っている。

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